ロック青二才
2011年6月より、毎月RJGBのフライヤーに寄稿して頂いている、
フリーランスライター・ジャーナリストの鈴木亮介氏による作品集です。
ロック的観点をベースに、社会や現象、、はたまた歴史的要素も織り交ぜながら綴られたその文章は、
回毎に深度を変え、独自の世界観を醸し出して行きます。
ここでは第一稿より最新作まで、随時ご紹介して参ります。
ぜひごゆっくりとお読み頂ければ幸いです。
ご意見、ご感想等は、お気軽にメールにてお送りください。
ロック青二才 vol.001「キキとロック」
2011年06月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第1回目は「魔女の宅急便」の主人公キキ、13歳。魔女と人間のハーフという自らの宿命と向き合い、一人修行を始める。様々な困難が彼女を襲うが、中でも印象的なのは、雨の中の配達シーンだ。必死の思いでおばあちゃんの「ニシンのパイ」を届けるも、受け取った孫娘は「わたし、このパイ嫌いなのよね」と一言。扉の向こうには温かい世界。どしゃ降りの雨に打たれ傷心のキキ、魔力が弱まっていく…
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よく「好きなことを仕事に出来ていいね」と言われる。 そんなことはない。はっきり言うが、俺は、書くことは好きじゃない。どちらかというと、嫌いだ。 もちろん、大元をたどっていけば、書くことが得意で、人から誉められて、楽しくて…というのがこの仕事を始めた原点にあるのは間違いない。別にやらされて今の物書きという仕事をしているわけではない。でも、プロとして、それで飯を食っていく覚悟をしてからは、どちらかというと「やらされて」に近い感情を持つことがある。というのは、それが自分にとっての「使命」だと思っているからだ。 言うなれば、それは闘いだ。毎回毎回、背水の陣。負けた瞬間、全てが崩壊する。例えば今この原稿を読んだ人間に「所詮この程度か」と思われたら、次はない。勝ち続けなければいけない闘いの日々に「楽しさ」なんて微塵もない。書けない書けないともがき苦しむ日々だ。この原稿とて例外ではない。 キキもおそらく、「空を飛べる」ということは「地に足を着けられない」ということだ、という残酷な事実に気付いている。或いはギター1本で食っていくということもそうだ。本来、そんなに愉快で楽しいものではない筈だ。そう何度もないステージを最高の歓びで満たすために、そこに照準を合わせて日々練習。指から血を出してまで弾き続けるその姿に、常人は「そこまでして弾かなければいけないのか?辛いならやめればいいのに」と思うことだろう。 僕らは今、魔女の宅急便で言う所の飛べなくなったキキだ。そっちのワイワイ賑やかで温かい世界に行きたいと、ちょっとでも思ったら、もう負け。それでも自分は、雨の中ホウキにまたがって飛ばなきゃいけないのだと、そのストイックさを持ったものだけが、本当の歓びに辿り着けるのだ。それを、ロックと呼ぶのだと思う。 毎日ギター触って楽しいなぁ…という原点は、決して忘れちゃいけない。でも、そこにとどまっているだけでは、絶対に成長しない。「ギターを弾くのが苦痛で苦痛で仕方がない」って言えるようになって初めて一人前なんじゃないかな。 まぁでも本当に心の底から嫌いには、多分なれないんだ。だから、痛いと分かっていて、皮の剥けた指でまた弦を弾くんだ。それは、きっと自分の音を聴いてくれる人が、向こう側にいるから。だって俺自身、本当に書くことが嫌いだったらこんな文書いてないし。
ロック青二才 vol.002 「絵仏師良秀とロック」
2011年07月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第2回目は宇治拾遺物語に登場する「絵仏師良秀」をピックアップ!芥川龍之介が「地獄変」としてオマージュしたことでも有名な作品だ。舞台は800年前の日本。仏絵画家を生業としていた良秀はある日、隣家の火事に巻き込まれる。命からがら逃げ出すが、我が家は火の海。中に残っていた自身の全作品、そして妻子がまだ取り残されている。しかし、良秀は通りを挟んだ向かいからその様子をただただ眺め、そして笑っている。何もかもを失って遂に発狂したかと憐れむ周囲の人たちへ、良秀はこう言う。「これは大変な儲けものをした」と…
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なにこのキモいおっさん!?家が焼けてるのに、しかも家族が取り残されてるのに、笑って眺めてるなんて!…まぁまぁそう言うなって。良秀は火事で自分の全財産、最愛の家族、さらには過去の全作品を失った。いや、決別したんだ。そうして全てを手放すことで、「本物の火炎」と出会う。「長年、自分は不動尊の火災を下手に描いてきた」と、言えてしまう勇気。僕らは皆、「これだけ頑張ってきたのだから」と過去の蓄積や栄光をバックボーンにしたがるものだけど。 最近気付いた。クリエイティブな仕事を生業とする者は、過去を「系譜」として見ることはあっても、「蓄積」にすることは出来ないのではないか?と。どれだけ過去に「これだけすごい曲を作りました」と言ったって、「じゃあ今、何が出来るの」と言われて相手の求める曲が作れなければ、評価されない。盛り上がっていたカップルが急に冷めて別れてしまうのと同じようにね、一瞬一瞬が勝負。死ぬまで勝負の連続だ!いつまでたっても「初挑戦」の連続なのかもしれないね。 そしてそこには、必勝を信じて先行投資する勇気が必要だ。不退転の決意!全てを捨てる覚悟!と言ったら大げさかもしれないが、一度きりしかない人生、そういう”大げさ”の連続だっていいんじゃないかな。 例えば画家は、これから先自分の作品が売れるという保証など何もないまま、キャンバスと絵の具を買い、食えない中もがき苦しみ、作品を仕上げていく。彫刻家もそうだ。物書きや音楽家も元来そうである。君のギターはどうだい?決して高いものを買えという話じゃない。高い志を持っているかい?ということだ。 僕らの生き様は常に、家を焼失した良秀と同じだ。振り向かず、ただただ前進あるのみ。
ロック青二才 vol.003 「杉崎美香とロック」
2011年08月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第3回目は「めざにゅ~」メインキャスターとしておなじみのフリーアナウンサー・杉崎美香さん。1978年10月31日大分県生まれのAB型。「これからお休みの方も、そしてお目覚めの方も、時刻は午前4時になりました」のセリフとともに、”八重歯のめざまし天使”として世の男性を癒し続ける。ちなみに洋/邦問わずロック好きで、奥田民生を筆頭に年60本近くライブ参戦しているとか。
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なでしこJAPAN快挙!やっぱり、サッカーもビールも生に限る!それは仕事の仕方も同じ。俺にはどうも、後付け編集作業が性に合わない。原稿を書く他に、教壇に立って喋ったり、イベントの裏方総指揮をすることもあるのだけど、やっぱり失敗不可・一発勝負の世界が一番好きだ。 そんな「生」の魅力を語る上で外せないのが、テレビのキャスターだ。あの人達はすごい。必ず尺出ししたものと同じペースで原稿を読むし、押したり巻いたりしてもちゃんと時間内に収める。それも、表情一つ変えずに。 その中でも杉崎美香は断トツにすごい!何たって午前1時起き、2時入りのスケジュールだ。平日は毎日午前3時にもうバリバリ働いてる。それだけで尊敬に値する。俺なんてその時間、ダラダラ原稿を書いて「もう27時だ~」とか言ってるから、その時点でもう周回遅れだ。そして杉崎美香様、その経歴もすごい。まず、国立の山口大を卒業後に信越放送に入社。何の縁もない土地・長野に単身乗り込み、すぐに局の看板アナとして人気を集める。そして24歳の秋、入社からわずか2年半で信越放送を退社し、東京進出。フリーのアナウンサーとして活動を始める。驚くのは、退社時点では事務所も番組も一切決まっていなかったという。それでも「長野のローカル局では故郷・大分の両親に自分の活躍する姿を見せられない」と、一大決心をし上京する。不退転の決意というやつだ!!
そんな涙ぐましい努力は八重歯の裏にそっと隠す、美香様。常に柔和な笑顔と、赤子に絵本を読み聞かせするような、穏やかな発声。あぁなんて美しいんだ!「したたか」は漢字で「強か」と書くけど、ほんとその通り、強いのに強さを感じさせない、強かさを持った人だ。それは、ロック。いや、それはもう、天使だ! 僕らも皆、泥臭さに安住していてはならない。そう思った。なでしこ達よ、美しく、強かであれ。
ロック青二才 vol.004 「唐辛子とロック」
2011年09月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第4回目は唐辛子。ナス科の一年草。ビタミンAとビタミンCが豊富で、発汗作用がある。冷ますのでなく、汗をかかせることで夏バテを克服しようという、その姿勢がロックじゃないか。真夏に鷹の爪。そんなピリリとした存在で、ありたい。
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賛否両論ありデリケートな問題だが、今これに触れないわけにはいかないだろう。某テレビ局の韓流肩入れ問題だ。テレビ報道の世界で4年半仕事していた自分としては、サブリミナルというものについて、その怖さに現場の人間はもっと敏感であるべきだと思っている。しかし今回の韓流批判はどこか的を得ていない感じがする。というのは、批判だけが目的化していて「こうしたい」という展望がないのだ。音楽出版の利権構造にケチつける輩もいるが、「良いものを、良いと紹介する」ことの何がいけないのか。それで本当に良いものなら尊い行為だし、良くないと判断されれば淘汰される。それだけのことだ。政治でも文化でも、悪いと思ったら、汗水垂らしてもっと良いものを創る努力をしろよ。涼しい部屋の中に籠ってただ文句言ってるのは屑。ピリッと来る批判は、その人の活動と自信に裏打ちされる。日本のエンターテインメントの危機?いいじゃないか、これに奮起してとてつもないものを創り出せば、今の造られたブームは壮大な踏み台になる。もっとも、これからの時代「日本人」「韓国人」って枠で考えてエンタメを創る時代じゃないと思うけどね。…こんな言葉を吐いてるお前は何をしてるのかって?言葉を教え、時に書き、最近は美大受験生の論文指導をしているよ。ニューウェーブへの寄与。これからの日本は、国家基盤もメディアも何も瓦解していく中で、独り立ち出来る人間しか生き残れないだろう。そのために必要なものは何か。それは自己を表現する力だと、俺は確信している。だから、俺は俺のやり方で、一人でも多くの次代を担う人間と関わり、為すべきを為す。
ロック青二才 vol.005 「いけず石とロック」
2011年10月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第5回目はとうとう石。ロックだから石とかふざけてるわけじゃない。
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また失言辞任…これでいったい何人目だろう。政治家の言葉が重みを失っている。いちいちあげ足取るなよマスコミ!と思ってしまうのは、逆に失言オンパレードに慣れてしまっているということでもあり、それはそれで怖い。どうでもいいことだが、でもそのどうでもいいことさえ守れないというのはやはり危機管理能力の欠如であり、そんな人間に国のかじ取りを任せるのは不安だ、と巡り巡って思ってしまう。
言葉の重みがなくなったのは何故か。最近の総理や閣僚の発言に注目してみた。「議員声明を賭してでも」「私のことはいいんです」「私は火だるまになるだろう」…いずれも、本来は公人たる議員なら当たり前の姿勢であり、敢えて口にする必要などない。「僕は身を粉にして頑張ってるんです」そう口にしてる時点で、大部分の政治家が粉骨砕身働いてないと言っているようなもので、結局自己保身にしか映らないのだ。まして行動の伴わない口先だけの「努力」は、薄っぺらく、虚しい。むしろ、喋らず黙々と行動する人間の背中の方が、人々に訴えかける力は大きい。
京都の街かどのあちこちで目にする、いけず石というものをご存じだろうか。道行く車が自分の家の塀をかすらないように、曲がり角に大きな石を置いて邪魔するというものだ。張り紙よりも何倍も効果があり、それでいて冷たさもある。ただし、「これ以上は入ってくるな」という線引きは、近づき過ぎることで生じる人間関係のトラブルを回避し、和を保とうとする京の千年の歴史から生まれた生き抜く知恵なのかもしれない。
「いけず」。品のある意地悪。いやそれは意地悪なんかじゃない。松尾芭蕉は「謂ひおほせて何かある(全て言い尽してしまって、一体何の意味があるというのか)」と喝破した。敢えて言葉にせず、「分かれ」「察しろ」の文化。男は黙って……それでも喋りたいか。伝えたいか。音にしたいか。そういや松尾芭蕉のあまりに有名過ぎる句にこのようなものがある。「静けさや 岩にしみ入る 蝉の声」…静かすぎて、うるさい。心臓の鼓動や耳鳴りや空調の音が脳内を支配する。それでも、六弦をかき鳴らしたいか。鼓を打ち乱したいか。何の言い訳も解説も伴わない、轟音。それが、ロック。
ロック青二才 vol.006 「酢豆腐とロック」
2011年11月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載。第6回目は江戸落語の名作より「酢豆腐」。暑さでイラつく町人たち。日頃から通人ぶっている伊勢屋の若旦那に一杯食わせてやろうと、腐った豆腐を差し出す。若旦那は酸っぱい顔をしながら「これは『酢豆腐』という食べ物だ」と最後まで言い張る…
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スティーブ・ジョブズの死は世界中に大きな衝撃を与えたが、同時に、彼はその偉大な功績とともに今後も人々の記憶の中に生き続けるなと確信した。オバマ大統領の発表した声明の中にその答えがある。「世界中の多くの人々が、彼の訃報を、彼自身が発明した道具で知ることになった。それこそが何よりも彼の成功に対する最大の賛辞かもしれない」…今この世界には存在しない世界を想像し、創造つまりそれを実際に形にする。科学はロックンロールだと茂木健一郎は言うが、本当にその通りだ。
死してなお、生きる。そのために必要なものは何か。それは、死ぬほど生きるたくましさだ。関西では調子に乗るやつ、ダサいのに格好つけてるやつのことを「あいつイキりだよな」とか「イキるなよ」と言う。思うに、生きるとはイキることだ。嫌われることを恐れず、上から目線で爆走するやつにしか、新しい世界の扉は開けないんだ。
何でも知ったかぶりをする伊勢屋の若旦那。「バカ旦那」と陰口を叩かれ、ついには腐った豆腐(ってのも面白い表現だ)を食わされる。悔しい思いをしただろう。でも、馬鹿を見たのは実は町人たちの方なんじゃないか。「腐った」と決めつけているうちは、酒にもブルーチーズにも一生出会えないのだから。
ロック青二才 vol.007 「ごまめとロック」
2011年12月掲載
2次元から3次元まで、「ロックなあいつ」にスポットを当てる連載もお陰様で第7回目。ただ今の時刻、午前5時半。静寂な朝。深大寺の鐘が微かに鳴り響いている。あぁまた朝が来た。来てしまった。原稿を書き終えられず、眠れずに朝が来て…周回遅れの俺は、コーヒーに手を伸ばす。
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ぶどう農家が、誰もが認める最高級のワインをつくった。 都会のソムリエが競って買占め、値段は高騰。 しかし、ぶどう農家は己の仕事に満足せず、 さらに良いものをと挑戦し続けた。 待てども待てども、彼の新作は世に出ない。 「いや、まだ納得いかないんだ」
「せめて、その失敗作でもいいから飲ませてくれよ」 「いや、半端なものを俺のブランドとして出すことはできない」 評判だけが町を席巻した。 彼色に染まった町は、他のワインを拒絶した。 同業他社は、皆廃業した。 彼のかつての作品も、全て飲み尽くされた。 町中からワインが姿を消した。 やがて、人は彼をこう呼ぶようになった。 「あいつはワイン泥棒だ」 後にも先にも、寓話を作ったのはこれだけだ。大した評価ももらえなかったと思うが、自分では気に入っている。俺はあの大スターを知っているが、あの大スターは俺のことを知らない。そんな事は皆分かってる。じゃあなぜ目指すのか。声が届かないと分かっていて、叫ぶのか。自己満足というかもしれないが、むしろ逆で、自己満足ならとっくに見切りをつけている筈だと思う。満足できないから、叫ぶのだ。分かっているさ、ごまめのはぎしりだって。そう言いながら、本当はこれっぽっちも分かってない。でも自分に言い聞かせるんだ。ちっぽけな存在だって。そうすることでしか、走れないから。エネルギーは、悔しさ。なぜ叫ぶ?それは、なぜ生きる?という問いに似ている。それが必然だから、としか今は答えが浮かばない。
ロック青二才 vol.008 「放哉とロック」
2012年01月掲載
【敬頌新禧】
本年もよろしくお願いいたします。新年早々、明るい話を書きたかったのですが、一つも思いつかず(泣)この原稿を書き終えて、本当に年が明けたら、明るい心境になっていることを期待しつつ…
尾崎放哉という大正の俳人がいる。「咳をしても一人」という句の作者、と言えば解かる人も多いのではないか。五・七・五を一切無視した「自由律俳句」を確立した放哉。その人生は句風同様、破天荒であった。
放哉は鳥取市出身。裁判所職員を父に持つ、いわゆるエリート。一高から東大法学部を経て通信社に就職。しかしわずか1カ月で退職、再就職した生命保険会社でも人間関係のストレス、酒による失敗から最終的にはフェードアウト。再再就職先も2年と続かず、病気や離婚も重なり、働くことをやめてしまう。
仕事も家族も手放した放哉の元に唯一残ったもの。それが俳句であった。「住所不定無職」となった放哉は、神戸の須磨寺に身を寄せ、ひねもす句を詠み続ける。
「障子しめきつて淋しさをみたす」「こんなよい月を一人で見て寝る」「にくい顔思ひ出し石ころをける」…わざわざ「一人」を強調する所に、彼の人への執着が垣間見える。「犬よちぎれるほど尾をふつてくれる」「雀のあたたかさを握るはなしてやる」「ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる」…寂しき人間が動物に心の拠り所を求めるのは今も昔も変わらず。
そして、肺結核のため僅か41年で生涯を閉じる。辞世の句が大変味わい深い。「春の山のうしろからけむりが出だした」どう考えても初句を「春の山」として五七五に出来るしその方が語呂が良い。でも、敢えてそうしない所に尾崎放哉という男の美学がある。たとえ世間の道から外れていても、自分にとっての道を追究することで、それが一つの道になる。
「入れものが無い両手で受ける」…今の自分の心境を放哉の句で例えると、こんな感じ。肩書きとか、何をやってるとか、無理に自分を大きく見せようとしてばかりいた、2011年。両手でつかんで、その隙間からこぼれ落ちていくものに執着し過ぎず、でも落としてしまった悔しさは忘れずに、自分自身を大きくしていきたいと思う。
そういうわけで、元旦よりBEEAST復刊しました。よろしくお願いいたします。
ロック青二才 vol.009 「終わりとロック」
2012年02月掲載
2011年ももう終わろうという12月30日、ムーンライダーズの最後のライブを取材した。無期限活動停止を発表し、12月に一本ライブをやった後はどこのメディアにも登場せず、この30日のタワーレコード新宿店屋上での限定無料ライブと、翌日のファンクラブ向けイベントを最後に、35年の歴史にあっけなくピリオドを打った。
「無期限」の「休止」なので、それはピリオドでないのかもしれないし、今後の活動についても一切は謎のままだ。それはまるで、40年以上前にTHE BEATLESがロンドン・アップル社の屋上でいわゆる「Rooftop Concert」を行ったのをなぞるかのように…と思っていたら、冒頭、Get Back?と一瞬思うようなアレンジで演奏がスタートしたから、やっぱりそうなんだなと確信した。
そうして、メンバーは特段緊張することも悲しむこともなく、普段通りのムーンライダーズを披露した…そんな印象を受けた。ただ、心なしか急いでいるようにも見えた。一体どこへ行くんだ?と思うような。まぁそうはいってもたっぷり10曲披露してくれたのだが。
「空がきれいだ…正月みたいな空だ」大きな独り言のようなあの口調で、鈴木慶一が言う。見上げると、雲ひとつない真っ青な、快晴の東京。アンコールは急遽予定を変えて、晴天にちなんだ「トンピクレンッ子」。サビの「ワッホッホ!」で右手を挙げるお客さんと一体感溢れる約4分。こんなに軽やかな去り方が、あってたまるか。
…なんてことを思う間もなく、6人の「ライダーズ」たちはあっという間に走り去ってしまった。そう、走り去ったのだ。
この中に何人還暦がいるんだ?なんてことを微塵も感じさせないパフォーマンス。爆音轟音ギラギラメラメラじゃないけれど、今なお甘酸っぱさを表現できるステージングは、ロック以外の何物でもない。
「これでオーディション受かったかな?来年からはタワーレコードのレジだ!」そんなセリフを残して、彼らはステージを降りた。結局のところ、彼らはこれで終わりなのか?なんだか、何の脈絡もなく三か月後にはまたレコーディングをして、そしてステージに立っているのではないかと、そんな気さえする。
終演後、ファンがこぞって皆青空をケータイカメラで撮影していた。ピーカンに、青い青い空。遠くに昼の月が見えた。
ロック青二才 vol.010 「けじめとロック」
2012年03月掲載
先月、「終わりとロック」というテーマで書いたら、何の因果か、東京事変にGO!GO!7188と立て続けに解散が報じられた。終わりがあれば始まりもある、ということで今回は「はじまり」の話をしたいと思う。
先週、都内の児童館でOB、OGによる企画ライブがあり、その取材に行った。「児童館」というとロックとはかけ離れたイメージを浮かべがちだが、まず、その設備の充実度にびっくり。巷のライブハウスに匹敵する機材の量と質に、天井には本格的なミラーボール。そして、管理室には貸し出し用のギターケースがずらりと並んでいる。バスケットボールや一輪車と同列にギター。その画には感嘆せざるをえなかった。自分がガキの頃ここに住んでたら…なんて想像が頭を巡った。
肝心のライブは、現役高校生バンドと、OBOGである大学生のバンドとの対バンで、終始和やかなムードであったが、印象に残ったのは、観客である中高大生、そして大人が、皆「全員が全員知り合い」状態で、分け隔てなく談笑していたことだった。ロックを通じて、一つのコミュニティが生まれ、紐帯、今風に言えば絆が形成されている。
でも、たまり場とはちょっと違う空気を感じた。言葉にするのが難しいが、何と言うか、家庭やお店とは違う、ここが帰る場所とか居場所とかではなく、一つの通過点のような場所なのだ。OB、OGの子達の発言や表情を見ていても、「自分達が楽しむ」以上に、「現役の中高生たちに自分の経験を伝えよう」という意識が強いようで、もちろん自分達も演奏するのだけど、一線を引いてステージに立っているように感じられた。
ここから外に出て、初めてバンドマンとしての生活がスタート。そんな感じか。だから、ちゃんと「卒業」がある。ちゃんと終わりがあることで、けじめがあることで、次のステージに立てる。人はつい慣れ親しんだ環境に、関係に、安住したがるが、積み木を壊してもう一度作り直すことでしか成長できない。別れは寂しいけれども、ここから新たなスタート。終わりから、スタート。
ロック青二才 vol.011 「頭脳警察×放蕩息子」
2012年04月掲載
3月10日、ここGBにまた新たな伝説が築かれた。THE PRODIGAL SONSと、PANTA率いる頭脳警察という夢の対バンが実現!小生はカメラマンとして最前列でシャッターを切り続けていた。吉祥寺のステージが一瞬で米南部の空気に!松尾宗仁のシビれるギター音に心震わしながら、踊るように撮っていたら時間が過ぎていたというのが率直な感想だ。撮りながら踊っていた。そして、足元をずっと見ていたのだが、百戦錬磨の男たちの足は実に力強く踏みしめ、それでいて軽快感もあるから本当にかっこいい。そして大御所・PANTA氏のステージ!今度は足元と同時に手元もカメラのレンズ越しに拝見していたのだが、闘将の弦を押さえる右手には幾つもの喜び、悲しみ、怒り…の感情が染み込まれているような重厚感があった。そして、闘いを経て悟った者にしかできないであろう柔和な表情と、力強い魂の雄叫び。撮るための事前学習として、今回両雄の音源やパフォーマンスをひたすらYouTubeで漁っていたのだが、そのどこにも見られない男のフェロモンと言おうか、「激惚れ感」が、このステージには満ち溢れていた。
よくYouTubeに音源を上げることに批判がなされるが、個人的にはその「批判」に違和感を持つ。確かにDVDやテレビ番組等をそのまんまアップロードしている輩もいて苦笑してしまうこともあるが、でも携帯電話でも核兵器でも何でも、一度出来てしまった道具は人間は手放すことはできないし、法律だ倫理だなんだと制限をかけるものではないと思う。そこで聴いて知って好きになって、「このバンドを支持したい」とCDを買ったり、もっと感動したいと思ってライブに足を運んだりするのであれば、むしろプラスなんじゃないか。
それで言うと、弊誌のやるようなライブレポも「ただのネタバレだ」という理屈になるのか。決してそんなことはない。僕らの記事は、YouTubeと同様ホンモノのライブには勝てない。そんなことは初めから分かっているし、だからこそ、限りなくホンモノを目指し、いいものを作る。「このライブ行ってみたい!」と思わせたいんだ。
ロック青二才 vol.012 「こだわり」
2012年05月掲載
佃島に11代・300年続く箸職人の方がいて、「江戸八角箸」というのだが、これが一膳2万円近くする代わりに、一度購入したら削り直しなどの手当てを一生涯無償でしてくれるのだ。最近は何でも物に執着せず捨てる文化が流行っているようだが、安易に大量生産・大量消費の逆を突けば良いというものでないと思う。根本は、生涯の伴侶を見つけ共に歩んでいくということと同じで、一点物に出会う目を養うことと、それを大切にするというこだわりがなければダメだと思うのだ。何故ダメかと言われても、うまく理由は見出せないのだが。「だって、そうじゃなきゃ、寂しいじゃん」という、感覚的な理由しか言えないのだけど。
そんなことが、コンピューターの普及した現代の音楽シーンについても言えるのではないかと、4月1日に開催されたJYOJI-ROCK2012春大会の決勝戦を経て、改めて考えた。2009年の第1回大会から見続けている一記者として今回感じたのが、「ライブ至上主義という原点への回帰」を図る現場の苦悩と、従順過ぎる出演者たちとのギャップ。敢えて厳しく書くが、今回はあまり楽しくないバンドが幾つかいた。その一番の理由は、「お前らもっと声出せ!」「俺らが最強!」みたいな煽りが度を越してたということだろう。みんな熱心?真面目?ゆえ、JYOJI-ROCKをちゃん勉強してきている。「次のライブは~」なんて宣伝するバンドもいなくなった。でも、その「教科書踏襲」が過ぎるのだ。自信持ってステージに立てって言われて、そうしてるのかな、とか思って引いてしまった。既に盛り上がってるのに、「まだまだこんなもんじゃないだろ!」って、おいおい。客席をちゃんと見てないな、と。
その中でU-18グランプリのおさかなボーイズ、そしてU-22グランプリのブラックブッチーズは頭一つ抜きん出ていて、圧巻だった!ちゃんと自分達が楽しんでいたから客席としても楽しめた。そしてベストプレイヤーズ賞のゲリラ楽隊もグッと来た。こちらも共通点は「自分達がとことん楽しんでいたこと」に尽きると思う。最後まで楽しんで、楽しみ尽くせば、煽らなくたって自ずと客は着いてくる。
ロック青二才 vol.013 「がんばろう○○」
2012年06月掲載
先月、宮城に出張してきた。ARABAKIロックフェスの取材に加え、仙台を中心に現地のバンドや楽器店、ロックバーなどにインタビューしたが、東京にいると知らないこと、気付かないこと、勘違いしていることがたくさんあることに気付いた。 仙台の街は、びっくりするくらい何も「大震災」を想起させるものがなかった。ひび割れたビルも止まった時計も何もない。強いて言うなら、東京の人達より節電意識が高く、未だ照明が暗めというくらいか。仙台一の繁華街・国分町は、吉祥寺よりもにぎやかだった。話を聞けば震災後に店をたたんだという所もあるのだが、不況で倒産したとかビルを取り壊して駐車場にしたとかいった都心の状況に比べれば、むしろその件数は少ないようだ。 興味深かったのは、「がんばれ東北」とか「がんばろう日本」みたいな標語を、街中でほとんど見かけなかったことだ。正確には、3つ見つけた。一つは靴流通センター。もう一つはタイヤ館。そしてもう一つは、コカコーラの自販機。いずれも全国チェーンの店だ。地元の企業や店舗は、そんな標語一切使っていない。
ただし、沿岸部、それも元々過疎化の進んでいた地域は、未だに時が止まったままだ。石巻を訪れたが、駅前の商店街さえ未だひび割れた地面、津波で押し流されてもぬけの殻となった建物が多数残っていた。市内唯一というCDショップに話を聞いた。震災後、一番売れたCDは40~50年前のヒットソングだという。津波で失った思い出のレコードをもう一度手にし、昔を懐かしむという人が多いのだ。
震災当初、人々の生活から音楽は姿を消したという。1日に配給されるのはおにぎり1個、それを一家で分け合う…という、まるで戦時中のような状況下で、娯楽にお金を使うという意識は生まれない。電気もケータイ電波もない状況で、唯一の情報源であるラジオは、音楽番組を排してニュースだけを伝える。まして、避難所では隣に家族を失い泣き暮れる人がいるという状況、音楽を楽しむなどということは不可能だ。イヤホンで音楽を聞くことが許されるムードになったのは、震災発生から1ヶ月以上も経ってからだった。 石巻は英語でロックンロールだとかどこかのミュージシャンがふざけて言っていたが、市内唯一のCD店にはロックのCDなどほとんど置いてなかった。懐メロの盤が一通り購入されて、今そのCD店は廃業の危機にさらされている。店主の語った言葉、これを絶対に東京に帰ったら多くの人に伝えようと思った。だから、ここにも書いておきたい。 「今、この街にCDを買う人はほとんどいない。街の外の人達が物を買ってくれないと、店は潰れてしまう。だから、是非被災地を観光し、現地で買い物をしてほしい。被災地観光なんて不謹慎だ、後ろめたい、と東京の人は思うかもしれないし、確かに石巻の人達も去年の今頃はそう思っていた。でもそれは震災発生から3ヶ月くらいのことで、今石巻の人達は皆、観光客に期待している。それに、もうすぐ建て替えや整備でこの街はきれいに、元通りになる。その前に、震災の爪痕が残る石巻を多くの人に見てほしい。そして、この震災を忘れないでいてほしい。」
ロック青二才 vol.014 「福島にあって東京にないもの」
2012年07月掲載
実はここ数ヶ月、月頭にGBのホームページを見るのを楽しみにしていた。時々、スケジュール欄の空いているスペースに、藤崎店長から全ロックンローラーに向けられた挑戦状とも言うべき、刺激的な言葉が並んでいたのだ。「お前ら、それでいいの?」っていう。そして、月の中ごろにまたホームページを見ると、そこには藤崎さんのメッセージはなく、ちゃんと公演の詳細で埋まっていて、嬉しくなる。…そんなことを密かな楽しみにしていたのだが、どうやら7月は繁盛の模様、既に全日程びっしり埋まっている。残念!(なんて言ったらGBで働いている全ての方を敵に回すわけですが。)いずれも印象的な言葉だったが、その中の一つをここで勝手に紹介したい。それは、「いい顔しようと言われるがまま、誘われるがままにどんどんライブの日程増やして…心のこもってない弾数だけのライブに何の意味があるの?客ナメてるんじゃない?」…確かそのような内容だ。これをライブハウスが、しかもブッキングが埋まっていない日のスペースを使って主張することはとてもロックだし、そして、それを見てか、その日にエントリーしたバンドが現れたのも感激した。日付を失念してしまい、どのバンドだったのかが未だに判然とせず(もしここを見ていたら連絡ください)。
百戦錬磨を売りに、毎週のようにライブをやるバンドがいてもいいと思うし、それもありだと思うが、ライブというものが特別な、かけがえのないものであることを思い出させてくれるバンドこそ、王道だと思う。ちゃんと作り込んで、練習して、一度しかないステージに全てを注ぎ込む、そんな気概に、僕らは金を払う。「会えない時間が愛情を育む」なんてよくヒット曲の歌詞にあるけれど、「まだかなぁ」と待つ時間もライブをより一層楽しむために重要な時間だ。待っているうちに忘れられちゃうようじゃ、そのバンドはホンモノではない、ということだ。
昨日今日と、東京×福島ヘヴィメタルサミットの同行取材をしてきた。3ヶ月に1回定期開催されている「メタラーによる復興支援」。東京からHR/HMバンドたちが福島に出向いて熱いライブをし、現地の人と盛り上がる。さらに、報道されない被災地の実情をこの目で見て回って、それを東京に戻って身の回りの人達に伝えようという大変意義深いものだが、この「サミット」が現地の人達には特別なものになっているらしい。毎回、数週間も前から「そろそろヘヴィメタルサミットだね」と話題がのぼりはじめ、当日はフロアを満杯にする。途中で帰る客なんて誰一人いない。普段は出来ない爆音シャワーを浴び、とことん暴れまわり大声を出し盛り上がって、そしてその日から数週間は「まだ首が痛い」「あの時盛り上がったね」と話題にするのだという。そうして、前後計1ヶ月間は、震災の悲しみ、原発の苦しみを少しだけ忘れられるという。募金やボランティアとは形が違うが、これも復興支援の一つの形だ。
今回、出演者が皆口々に、「このメタルサミットは普段東京でライブやる時よりもお客さんが盛り上がってくれるんだよね」と言っていた。もちろん出演者は東京でもファンの多い実力者ばかりだ。普段客が入っていないわけではない。東京の客に、福島ほどの情熱がないということなのだろう。
あふれるほどのライブハウスのある東京で、機材も照明も交通機関も充実していて、それでも、何か物足りなさがある、そんなライブが日夜行われている。これでいいのか。原発を再稼働してまで無いものねだりをする都会の人間が見失いかけているものを、皮肉にもその原発でめちゃめちゃになった福島で、見つけることができた。「待ってました!」という、オーディエンスの情熱。これはしかし、どうしたら取り戻せるのだろう。
ロック青二才 vol.015 「情熱」
2012年08月掲載
前回、オーディエンスの情熱をどうしたら取り戻せるのだろうと書いたが、それからずっと考え続けている。痛いほどに。というのも、そういう問題意識を感じているはずのわれわれBEEAST自身のイベントで、集客に苦戦しているのだ。もちろん理由は僕らの力不足にある。身内が盛り上げないでいて、どの面下げて読者の方やミュージシャンの方々に「来てください」と言えよう。メディアを作ろう回そうという意識は十分に持っているつもりなのだが、結果に結びつけるのは容易でない。
結局、「宣伝」ということに終始すると思うのだが、宣伝しないと集まらないというのも悲しいことだなと思う。先日あるイベントで、ジャーナリスト氏が「今は調べればすぐこの業界がどういう状況で…というのが見えてしまうから、闇雲に夢を抱いて飛び込もうという若者が減った」と分析していたが、まさにその通りだなと思う。中途半端に知れるからこそ(中途半端なのに)、先を読む(読んだ気になる)習慣をつけてしまい、「それ行くと得しそうだから行こう」「それ行ってもつまんなそうだからやめとこう」と判断する。
人生、予想外ほど面白いものはないし、それに金を払うため以外、何のために金を持つのか。「老後の蓄え」と言って、老後になったらなったで意識も朦朧として医療費に消えていく、そんな金の使い方、時間の使い方で、いいのか?と思うが、本当にあらゆる現場で若い人ほど「安全志向」が正しいと思って行動選択しているから、なんだか残念な気持ちになる。
とまぁ憂いでいても仕方ない。楽しさは強制とは相対するところにあるものだから、僕らが全力で楽しんで、「面白そう」と思わせていくしかないな。どれだけネットが進んだ時代になってもストリートパフォーマーに人だかりができるのだから、その可能性を信じ続けるしかない。
ロック青二才 vol.016 「残響」
2012年09月掲載
渋谷に残響SHOPという面白い店がある。残響レコードの直営ショップという括りになるのだが、残響レコードのものしか扱っていないわけではなく、むしろ、純粋にいい音楽と、音楽の楽しさを倍増させるアイテム、例えばこだわり満載のヘッドホンとか、ステージで使える電気ローソクや、通が愛用する気仙沼のエフェクターなどなど…残響グッズの方が少ないくらいだ。
そんなお店に久々に足を運んだら、まるで別の店?というくらい店内がリニューアルしていた。品数は以前の3分の1程度。店内にあったCDは全て店奥に隠し、あるのは試聴スペースのみ。アーティスト名もアルバム名も伏せた盤、すなわち真っ白なCD-Rだけが30~40枚並んでいるのだ。「このミュージシャンのアルバムが欲しい」という買い方は、ここではできない。誰が演奏しているのか分からない曲を試聴し、気に入ったら買えるというシステムなのだ。
店員さんによる紹介ポップこそついているものの、それは抽象的な、というか衝動的なフレーズばかりで、分かりやすい「ヘヴィメタル系」「女性3人組」「●●みたいな曲」という説明はほとんどない。
先入観を持って買うとか、「誰々の新譜だから買う」ではなく、純粋に気に入った音楽を購入するという新たな音楽との関わり方を提唱しているのだ。聴かなければ分からない。
何でも手軽に手に入るデジタル時代を逆行する面倒くささだが、これが案外ウケている。「手探りで自分の好きな音楽に出会うなんて大変!」と思うかもしれないが、そこはご安心を。気さくな店長・田畑さんが「どういう音楽をよく聴きます?」「どういうものが好き?」と話しかけてくれ、「じゃあこの曲好きかも」とオススメしてくれるのだ。いうなれば、CDソムリエだ。
渋谷の一等地に立地する店内の大半が試聴スペースという贅沢な間の取り方は、激安ド○キとは対照的。まして山のように情報が溢れるネットショップとはまるで正反対の売り方だ。一見すると「これで採算が取れるのかな?」と心配したくなるが、そうした目先の利益よりも「純粋に音楽を愛し、そこにお金を投じる」文化を作ろうと提唱していく姿勢は高尚だし、固定のファンを何人も作ることができれば、こういう手法が新たな商売のスタンダードになるだろう。
※店に頼まれて宣伝しているわけではないので、住所定休日等は書きません。BEEASTでも一度記事にしているので、興味を持たれたら是非探してみてください。
ロック青二才 vol.017 「モデル読者」
2012年10月掲載
BEEASTで8月から、人気音楽番組「sakusaku」前MC三原勇希さんによる【「先生!これはロックですか?」―ロック一年生のどきどきおしゃコラム―】が始まった。第1回目の内容は、モデルであり現役女子大生である一人の22歳女子がキヨシローと出会い、心打たれていく様をリアルタイムに綴った、「ロック1年生」の心の躍動が活き活きと描かれており、誰もが通った「初めて好きになった瞬間」、原点を思い出させてくれる。
BEEASTの目指すところは「親子で読めるロックマガジン」だ。70年代、80年代ってこんなに素晴らしい!それを、若い世代に知ってほしい。一方、「今やロックは下火」みたいな、そういう固定観念で斬ってしまわずに10代20代のリアルを親世代の方々に知ってほしいという思いもある。
そのための記事づくりには絶対的な自信を持っているが、「動線作り」が課題だった。というのは、現実問題、親世代は自分の興味のあるミュージシャンのレポしか読まないし、子世代は友人のインタビュー記事しか見る…という読者が少なくない。どうやったらその世代間の交流ができるか、その動線作りをずっと考えてきた。
そこで三原さんによるコラムが、若い人、特に若い女性に「へぇBEEASTって(70's80'sって)こういう魅力があるのか」をリードする、お手本というか指標になる。読者モデルならぬ、モデル読者。「こういう読み方(音楽の楽しみ方)があるんだよ」という提示だ。
ひょんなことから音楽バラエティ番組「sakusaku」のMCを3年務め、人並みにJ-POPを好んで聴く程の「どこにでもいるフツーの音楽好きな子」が、自分の親世代のロックの魅力に気づき、ハマっていく過程を自ら綴ってもらう、ドキュメンタリー。三原ファンの男性たちは「(僕の好きな)あの子が好きな音楽って、どんな曲なのかな」と興味を持つだろう。音楽を好きになるきっかけは往々にして「その音楽を好きな人が好き」から入ることが多い。そして、ニコラモデルの頃から三原さんを追い続けている10代20代の女の子たちにも、同じ体験をしてほしい。「オヤジのロックって、こんなに素敵なんだ」と。そうした10代20代読者の方々が、次の文化を作っていく担い手となる。
そして、親世代にも三原さん目線を共感してほしいと思う。「キヨシロー知らねぇの?勉強してこい!」じゃなくて、どんなキャリアがあるとか売れているとか関係なしに、純粋にその音楽に初めて触れ、感動している様を温かく見届けるような。そういう「敷居を下げること」こそが、文化を高めることにつながるはずだ。
ロック青二才 vol.018 「どっちの水が甘い?」
2012年11月掲載
先日、女性バンドが数組対バンするライブを観にいったのだが、そこで強烈な違和感というか、嫌悪感を覚えた。というのは、ライブ本編よりも、転換時の物販の方が演者も客も大声を出して盛り上がっていたのだ。要するに、ほとんどが中年男性である客は、お目当ての◯◯ちゃんと至近距離で会話したり握手したりすることを目的にしていて、バンドもまたそれをわかっていて数百円の写真や、 ジャケットが何パターンもある、中身は同じCDを売るために必死で呼びかけをする。一体どこの朝市だっていう具合で。そして、次のバンドのステージが始まっているというのに、”接客”をやめない出演者と、離れない客。思わず、俺がAKB握手会で言う所の「はがし役」をやってやろうかというくらい、憤った。
音楽で食えない、だから…とその続きを考えることはむしろ大事なことだ。そこで例えば、食いぶちは他で確保しつつ好きな音楽をとことんやる、というのはそれはそれでありだし、ファンサービスを充実させることも、パフォーマンスや衣装にとことんこだわるのも、それもバンドもという表現活動の一環だと思う。しかし、水商売的にオヤジを相手にして、演奏は二の次…みたいになったらおしまいだ。ステージに背を向ける客と出演者。それはもう、音楽に対する冒涜だ。「バンドやめろ!」「ライブハウス来るな!」って叫びたくなる。そういうブッキングを許しているライブハウスもクソくらえだ。
これは音楽メディアも同じで、うちも今、その真っ只中でもがいている。Webは金にならないとか時流のせいにして、目先の小銭稼ぎのイベントに追われたり、広告収入のためにごますりするようになったらおしまいだと思う。いい記事を作って、それを認めてもらって、ファンを作り、(金銭的に)サポートしてもらう。あるいは、アマチュアから30年戦士の一流プロまで幅広くミュージシャンにも愛されて、うちならではのイベントを打ってファンにも楽しんでもらう、そういう利益の出し方で回して行くことを、たとえ困難でも諦めてはならない。
裏でどれだけ苦しかろうと、その苦しさを音楽への原動力にしなければ、何のためにこの世界にいるの?ということになる。「音楽で食ってく」っていう夢を俺たちが持ち続けられなかったら、そして次の世代に提示し続けられなかったら、もうおしまいだ。
ロック青二才 vol.019 「2種類のおとなしい子」
2012年12月掲載
副業で塾講師をしていることもあり、小中高大様々な世代の”子ども”と接する機会が多い。最近の子どもはおとなしい子が多いと言われているが、よく見るとその「おとなしい子」の中にも2種類いる。
一つは、いつの時代にもいる、元々コミュニケーションが苦手である子。自信がない、きらわれたくない、失敗するのが怖い…というタイプで、こういう人間はLIVEの会話は苦手な反面、内側にためているものが凄まじいから、LIVEでない、自分のペースで、かつ一方的な発信ができる手紙、メールなどの道具を手に入れた途端に強くなる。物書きに寡黙な人が多いのも、そういうことだろう。今の時代は何でもネットで露呈し、情報収集できてしまう時代だから、いっそう「こうしたら失敗する」と慎重になる子は増えるだろう。そういう子を救うのもネット書き込み文化だし。
そしてもう一種類は、そもそも自己主張をしたがらない子。これは、幼少の頃から何でも用意されて不自由のない環境で育つ、ニュータウンの子に多い傾向がある。親が教育熱心でそこそこ賢く、二手も三手も先回りして用意しているから、子どもは早々に、それに反感を持っても抵抗できないのだと悟る。家出しようにもニュータウンはひとたびマンションの敷地を出たら森か空き地か幹線道路しかないし。おとなしく聞いたふりをしていることが一番ストレスフリーなのだと学ぶ。
成績が下がれば、親が教材を買ってくるし、塾にクレームをいれるから塾も必死になって自分に勉強させようとしてくるし。冷たく放置されることがないから、「俺はここにいる!助けて!」と言う必要はない。黙っていても用意されるから、しっかり自分から取りに行かないと、取り逃すと損をする、そんな経験がないから、自ずと自己主張する機会は減るしその能力も衰えていく。騒ごうものなら叱られるから、おとなしくしておこう。何だかもう、パンチドランカーのような、無抵抗主義。負け癖がついている。
当然、こういう子達が例えばバンドを組んで音楽をしていても、向上心がないから、音楽が生き甲斐のような前向きなものではなく、ストレス発散、息抜き、の後ろ向きなものになる。そういう、おとなしいバンドにこそ、ライブハウスという社会で、もう一度牙を取り戻してほしいのだけどな。
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